だいたい毎日アドルフヴェルフリへ想いを馳せている

彼の中の狂気があの膨大なドローイングとして昇華されなければどうなっていたのかしらと思うと、

ヴェルフリの立場で考えると恐ろしい。

 

防衛機制における昇華ばっかりやれたらなあと日々思います。

なかなか難しいというか、私の才じゃ全然まだ無理ですが……。

 

ipad購入により「電車でも絵かけるじゃん!」と思ったのですが

十中八九降りる駅を逃すので今は控えています。

毎度降りる時刻を計測してアラームをかけるバイタリティがまだ保てません。

 

人々は可能無限の中で生きてるよ、という茂木健一郎さんの話が国語の教科書に載っていたことをよく思い出します。(国語の教科書に載ってた文章だいたい大好き)

実際のところ、降りる駅はやって来てしまうんです。

誰もが卒業するし、退職するし、死んだら終わり。

 

やり遂げたいことを見出すというのは、毎日やりきれない気持ちを抱えなければいけないということでしてすごく歯がゆいですが、

毎日少しずつ水をあげるしかないのかなと思います。

 

あと、できればこういう日記より、敬愛するユージンスミスの写真の模写をした方が良いかと。